NZの学校へ赴任して、興味深く感じたのは、どこの国でも、どの言語の授業でも、テスト対策を中心に考えた授業は同じようなものである。つまり、「ここテストに出るよ。覚えよう。」「この文法は大事だからね。覚えよう。」「語彙を増やそう。」というものが中心なのである。日本では、(私の少ない経験の中で恐縮であるが)いわゆる進学校で、受験を視野に入れて授業を組み立てると、このような形式になることが多い。授業も教師からの説明が多い講義形式である。「口頭で、ドリルやアクティビティを中心とした授業もしてみたい。」等とアシスタントのネイティブスピーカー(つまり今の私はこの立場であるけれど)が言った時には、「生徒達がうるさくなるから。」「言っただけでは身に付かないから。」「テストでは読み書きが中心だから。」と言うセリフまで同じなのだ。おもしろい。
英語圏の、海外の学校は「Student Centred-生徒中心」の授業が多いと考えていたのは、ステレオタイプ以外の何物でもなかった。今の学校の、少なくとも50年近く日本語を教えているJ先生がそうしているのだから、他にもこういう方は少なくないだろう。以前の学校の先生もそういうことがあった。生徒達の「我慢の限界」とツールを使いこなす技術があったために、パワーポイント等を使ったりはしていたが、説明し、問題を解かせることは変わりなかった。特出すべきは、意外にも「訳読形式」の授業が多いという点だろう。(これがいいか悪いかは賛否両論だと思う。)
日本での英語教師の時には、この「訳読式」を「Old Method」等と言ったり、まさに「訳毒」と考えたりするような風潮もあったし、「生徒中心の授業」「アウトプットさせる授業」等の見出しで研修が組まれることが多かった。「Practicalな授業」「実践的な授業」等とも言われた。…とここまで書いて、過去形で書いていいものか迷うくらいに。恐らく今も。
義務教育(小、中)の英語の先生達はそのあたりの切り替えが素晴らしく、しかも徹底して「Comunicativeな授業」を目指しているような話をきいたが、高校ではそれが教師の資質とか考え方とか教育方針とか、学校の雰囲気とか…(軽めな表現にしましたが察していただいて…)諸々に任されていることもあるので、本当にそれぞれである。NZでもそういった感じである。
単純に、日本語の授業で、しかもここはNZなのにもかかわらず、日本での英語の授業と、似たり寄ったりな点が興味深いと思ったのである。そして様々な言語の授業があって、生徒達の能力や反応も、先生のキャラも、本当に十人十色であるにも関わらず、究極につきつめていくと、「根本的には、言語の授業って、展開のレパートリーが少ないのかも。」等と感じてしまってもいる。
矛盾するようなのだが、同じような展開の中でも、それでも味付けを工夫していくしかない。「栄養をとるために野菜を食べなくてはならない。ピーマンだけだと苦しいけど、お肉と一緒に炒めてみるか…。いやハンバーグに入れてしまうか。」等と。やはり目の前の生徒達には何らかの学習目的や要求があって、それに合致する授業が一番いい授業ということなのだろう。それには旬(タイミング)があるし、相手の好みも、学習の目的も視野に入れなくてはならない。未だに私には、正解がどれなのかもわからない。常にチャレンジだ。英語の授業も日本語の授業も。
ただ、アシスタントという立場の今に限って言えることは、主担当の先生のやり方を尊重しつつ、自分の入る隙間を探すことだろう。とにかく飽きさせないで授業をこなすこと。文法の説明の後や練習問題の合間にそれを使わせること。そう会話。生徒達に既習の事項を使ってもらうよう水を向けていくことである。口頭ドリル、口頭演習。しかし、定着が大切である。
こちらの生徒達に対して、言語学習者としても教師としても、特に感心・尊敬することーそれは「習ったことを実践的に使ってみる。」ということである。日本で英語を教えている時の生徒達、または自分とあきらかに違うのはその点である。間違いなんて、そんなの関係ない。とにかく「使ってみたい」のだ。それがとても素晴らしいと感じる。これは教える側としては好機である。
「ジョー君は恵子さんほどはやくおよぐことができません。」これを学習した今日、13年生(17歳)の生徒達は、「サムはザックほどつよくキックすることができません。」「ハリーはジョンほど漢字をしりません。」等と自分達のことについておしゃべりしていた。「してもいいです。」「してはいけません。」を学習後の12年生(16歳)は、「ねこをたべてはいけません。」「サンドイッチをたべてもいいです。」等とお互いにふざけながら話していた。「消しゴム」を習ったばかりの9年生(13歳)は消しゴムを使う度に、飽きもせず「けしゴム!!」と言っていた。
この「とりあえず使ってみる」ということこそ、言語習得の早道であると私は思う。それと同時に、この「使ってみる」という気持は「言ってみたい。言語を使いこなしたい。」という欲求の表れであり、「積極性」、つまり「やる気」の問題であるとも言えるのだなと感じた。
私も最近では、スラングや初めて聞く言葉をとりあえず真似る癖がついてきた。まずはTV等で得たものを、職員室等での会話では積極的に使ってみるようにしている。前よりも、もっともっと意識して。教科書では出てこない言葉が多いので楽しい。
普段私が話す言葉は、丁寧すぎるようなので、生徒が「Oh,man!!」等と呟いたら、すかさず何も知らないような顔をして繰り返す。それがBad Wordだと知っていても、素知らぬ顔で。生徒が慌てて「Miss, This is not a good word for you. Sorry.」等と言う。それも楽しい。「Oh, sorry! What is the meaning of the word?」等としらばっくれて困らせたりもする。最近では通用しなくなってきたけれど…。「知ってて聞いてるぞ。」みたいな。またはさらなる下品な言葉を教えてくれようとしたりもするので、その時はカミングアウトしてみたり。
楽しい毎日である。生徒達から学ぶことは多い。そして、日本にいる時と違い、自分自身が現実生活の中で、英語学習者でいられることも幸いして、授業を教師という立場と同時にリアル学習者の目線で、客観的に見られるような気がしている。生徒と共通の悩みを共有し、ある意味では同志のような存在でもある。
業務連絡:A先生、今回のこの記事の内容と似通ったものを
月例レポに書きますが、できれば見逃してください。
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